2010年 01月 29日
名古屋城が堅固な石垣の上に静かに佇んでいます。 清洲城は長らく尾張の中心であったが関ヶ原の合戦以降、政治情勢の変化や水害に弱い清洲の 地の利のよくないことがもとで徳川家康は1609年(慶長14年)に九男義直の尾張藩の居城として 城を名古屋に築くことになった。 1610年(慶長15年)、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始された。 伊勢音頭には”伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ”と歌われているが 名古屋城は大坂城、熊本城とともに日本三名城に数えられている。徳川家康が九男義直のために 織田信長誕生の城とされる那古野城(なごやじょう)の跡周辺に天下普請によって築城された。 以降は、尾張徳川家17代の居城として徳川御三家の一つであり明治まで使われてきた。 天守は地元商店街の尽力や全国からの寄付により1959年(昭和34年)に再建されて、復元された 金鯱とともに名古屋市のシンボルとなっている。大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城 だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。 戦後、三の丸を除く城址は、北東にあった低湿地跡と併せ名城公園とされた。 園内には、戦災を免れた3つの櫓と3つの門、二の丸庭園の一部が保存された。 また、一部の堀を埋め立て大小天守や櫓、御殿の一部は昭和初期まで現存していたが名古屋大空襲 (1945年)によって天守群と御殿を焼失した。 戦後、天守などが復元され現在の城跡は名城公園として 整備されている。 普請奉行 作事奉行 石垣は諸大名の分担によって築かれた。 天守台石垣は中でも最も高度な技術を要し、加藤清正 その任にあたり築いた。 石垣の石は遠方からも取り寄せられ篠島の海岸には 海岸にある石を削り取ろうとした傷跡が残っている。 大変な工事を当時行われていた事が偲ばれます。 天守は作事奉行の小堀政一が任ぜられたと、伝えられ 1612年(慶長17年)までに大天守が完成する。 設計事務所【SD】のホームページ
by sd_spacedesign
| 2010-01-29 15:50
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